【愛犬のための知識】ハンドシャイは心の病気【犬を知る】
ハイドシャイは心の病気
今回は犬のハンドシャイについてのお話です。
【原因】
犬がハンドシャイになる原因としては、人の手に恐怖や痛みを感じたことがある。又は、それが何回もあるということが挙げられます。
例えば、しつけとして体罰を受けたとか、しつけとして床などを叩いて、大きな音で叱られたとか。
床や物を叩くだけなら大丈夫だろうと考えがちですが、手が動いた後に大きな音がして、怖い体験談をするということを言い返していると、犬は
手が動く=嫌なことが起こる、と覚えてしまい、
手=嫌なもの、と認識するようになってしまいます。
このことをしらない飼い主さんは、自分が知らないうちにハンドシャイしてしまっている場合もあるので、ここまで書いたような叱り方をしたときに、
犬が反省しているように見えても、それは反省ではんく、ただ単に恐怖を感じているだけです。
その不安や恐怖の対象が人間の手になり、犬が拒否反応をしめすようになるのが「ハンドシャイ」です。
【症状】
犬は、基本的にいきなり頭上から手を出されるのを嫌いますし、それが信頼していない相手からの行動であればなおさらです。
それを踏まえて、人間が手を出した時に犬が見せる、ハンドシャイの症状を見ていきましょう。
軽度であれば、目をしばしばさせて閉じたり、それをしながら首をすぼめたりして、ちょっと怖がるそぶりを見せます。
これは頭を叩かれることが原因です。ただし、偶然の行動が原因になる場合もあります。
それは、愛犬の頭をなでるときに、たまたま愛犬の目に飼い主の手が当たってしまった場合です。
これは偶然のケースなので、これでハンドシャイみたくなってしまってはもったいないので、飼い主さんは気を付けるようにしましょう。
お尻を叩かれる犬の場合は、尻尾を足の間にたたんで、お尻をすぼめます。
私たち人間でも、ありますよね?
人間も叩かれそうになると、身構えて首をすぼめたりする行動が出るのは自然なことですし、これは犬も同じです。
良い反射的行動とは言えませんよね。
犬のハンドシャイがひどくなってくると、恐怖の反応がよりわかりやすくなってきます。
普段ならしない行動をするので、すぐわかります。
重度のハンドシャイじゃ、今時なかなか見られないんじゃないかと私は思いますが。どうでしょうか?
保護犬などには、見られたりするのでしょうか?
【治し方】
ハンドシャイは心の病といえるので、直すというより、治すことをおすすめします。
とにかく、「人間は良いもの」と犬に認識してもらうことが必要です。
犬が喜ぶことを、人間の手でしてあげるのです。
例えば、手のひらに食べ物を載せて、犬に与えます。
犬が警戒しているようであれば、こちらから無理に近寄らず、少し離れたところで、手のひらの食べ物を犬に見せます。
犬が人間の手のひらから食べ物を食べたら、統一した短い言葉で褒めるのみにします。
人間の手に不安があるわけですから、褒めようとして犬を触らないでください。
犬の頭をなでるのはしばらくやめて、なでる時は犬のアゴまわりや、耳の付け根らへん、首などをなでてあげましょう。
これであれば、人間の手は下から出ることになるので、犬に与える不安が少なくなると思います。
顔の下からなで始めれば、そこから頭をなでるように手を移動させることはやり易いと思うので、それができるようであれば、それを繰り返して「犬に撫でられることも気持ちがいいな」と犬に感じてもらうことがポイントです。
もちろん、この時は人間はしゃがむなり座るなりして、犬と同じくらいの目線になることで、ちゃんと人間の手が下から出るようにしてください。
ただし、重度のハンドシャイで、恐怖性攻撃行動があるような犬を相手にする場合は、リードでちゃんと距離を保って、その距離を把握したうえで接して下さい。
そうしないと、人間がしゃがんだり、座っている時に、犬に攻撃される危険も考えられるので、軽度のハンドシャイであっても、これは反射的にしてしまう行動なので、
なかなか完全に治すのは難しいかもしれません。
長い時間をかけて、徐々に信頼を得ることが必要で絶対に無理は禁物です。
信頼を失うのはあっという間でも、信頼を得るには時間が必要ですから、せっかく良くなってきていたものが、一度つまづいてしまうと、またやり直すことになりかねません。
【最後に】
実は、我が愛犬も頭をなでようとすると目をしばしばさせます。ですがそれは、私が愛犬をなでる時に、誤って愛犬の目に私の手がぶつかったからなんです。
失敗したなぁと思っています。ですが、我が家の愛犬は頭をなでられることは好きなので、自ら私の手を自分の頭に持っていくよう、鼻をうまく使って自分の頭に私の手を乗せます。
やっぱり飼い主さんの手は、愛犬に幸せだと感じてもらうために、あるべきだと思います。
愛犬に恐怖や不安を与えるための手であってはいけないと思います。